楽しかった日々もあっという間に終わり。
最後の夜は2Shotを撮ったヴィラの方にある、ホテル内の宴会場。(初日とは別の場所)
部屋やテーブルの並びはいつも通りだけれど、これまでは短辺にステージが作られていたのが、長辺になった、と言えばいいの?
前に位置するテーブルの数が増え、ここへきてワタクシはようやっと前ベイベーに。
いつも通りに食事の時間が取られ、その後にご本人登場。
黒の上下に、広い間隔で織りのラインが横に入った、少し変わったデザインのスーツ。
「かっこいいでしょ? このスーツ」
ご満悦♥
この日のプログラムは、ベイベーからの質問「20周年のいま、改めて聞きたいこと」、50名に当たる大抽選会、歌。退場時にハグ。(流れについては事前の説明なし)
登場してすぐにチエホフに注いでもらったビールを一杯、一気飲み。
「一気飲みするのが恒例になってるなあ」
そういえば、温泉イベントではよくある「お酌」がなかったな。みっちーに注ぐのも、注いでもらうのも。
喉をうるおして軽快におしゃべり。
みっちーはバリへ漫画を持ち込んだそうで(何かは言わず)、それを読みながらお風呂にお湯をちょろちょろと溜めていたら、溢れてしまっても気づかず。
「夜中にお風呂場の床を(バスタオルで拭く仕草)拭いてました」
「僕も(スターだけど)普通の人だと思った」
スイッチ切れちゃってる様子がほんとカワイイ。
この時のトークで、「具合が悪くてバリ男登場」の話が出たかな。
質問をチエホフの箱から引く前に、20周年を振り返っての話が出、古い話につい落涙する。
隣りのテーブルでも目頭を抑えているベイベーがいた。
正確な表現を忘れたけれど、“アイドル”然として登場し、それで遊ぼうと思っていたのに、本気アイドル扱いされて苦しかったことを語る。この日も「ミッチーという着ぐるみ」と言っていて、この表現は今年、20周年の活動を語る中で何度も口にしているなと思った。一方で「職業ミッチー」とは言わなくなっている。ここへきて、「ミッチー」と「及川光博」が少しずつ、融合していっている気がする。
彼の中でいろいろなことが変わっていっているのだろう。
それでも「人間 及川光博」として戦っているところは変わらない。
元となった質問の正確な文言は忘れたけれど、この仕事を辞めたくなったことはあるか、だったかな。
「あります」
と、はっきり口にした。
「(観客との)ギャップが大きかったのが、98年の堕天使の花嫁」
その一言が耳に飛び込んできて、胸が締め付けられる。
「堕天使の花嫁」のファイナルは「翼をください。」と名称を変え、コンセプトもセットリストも変えた2days公演。
あやういんじゃないか、というのを強く感じたステージだった。
それでも、辞めないって信じてた。

(「クイックジャパン」1998.10.1号)
この言葉だけ信じてた。
玩具のように扱われ、マスメディアを通しては彼の本心が届きにくい中、彼に肉薄した数少ない媒体の1つ。
辞めるなんて、思わなかった。
だって、あなたが否定しているんだから。
20年経って、やっと口に出せるようになったんだなあ。
着ぐるみという表現もね。
(この先、バリとはまったく関係のないワタクシの1998年語り)
この「クイックジャパン」には「翼」のライヴレポートが掲載されている。
「マニアの受難」と題された章の、「翼」公演の直前・入り待ちをしていたベイベーへのインタビュー。
パーティで「ギャップが大きかった」と語られた部分がまさにこれだ。

彼の痛々しさに心を引き裂かれるようなマニアと、
キラキラ王子でハッピーなステージ♥を楽しみにきたファン。
いまでは「まあ受け取り方は人それぞれよねー」と私も言えるけれど、
当時は憤りや悲しみの方が大きかった。ステージが良かった、と思えただけになおさら。
そしてみっちーの不器用さに身を切られる思いだった。
しかも現在は「キラキラで王子的でハッピーなステージ♥」だからな(笑)。
このブログで再三書いているように、「笑顔」に到達した彼の本質はいまでも変わっていない。戦い方を変えただけ。
それでも古株ベイベーの中にも、「彼はデビューのときから面白くって、楽しくって、ずっとキラキラ★」と思って今日まできた人もいるのかもね。
でもまあ、人それぞれだから!
(私も大人になった)
なにより私自身が、彼の心とともに在れたこと、
それでいいの。
それだけが、私のすべて。
98年は、私がベイベーになった年で、一気にディープな世界へ連れて行かれた年でもあるので、
この辺りに絡んだトークや歌などは、心の奥深いところへ真っすぐに、刺さる。
そしてついこんな風に饒舌になる! あと、泣く!

(クイックジャパン「翼をください。」レポ部分より)
「堕天使の花嫁」だったか「翼をください。」だったかのMCでいまでも覚えている一言。