「物を書きたい」

八王子・愛哲のMCにて、「休みが取れたら何をしたいですか?」との質問に、「(休みの)長さにもよるけど」と前置きしつつ、「脚本を書いてみたいね」。そのためには取材(時間)が必要だ、と。
「うん、時間があったら、物を書きたい」

昔、劇団にいたときに脚本を書いていたことがあったはずですが、その時とは違うものを生み出すのだろうなあ。でも根底は変わらないんだろうなあ。脚本、読んでみたいなあ。

話は逸れるけれど、私自身もTwitterアカウントを持っているのでごく稀に眺めることがありますが、「面白い人と面白くない人」「頭を使う人と使わない人」の差がどんどん開いていっていると強く感じます。
面白くない人が面白い人のネタをRTして、「見つけた自分」に満足してしまう。
頭を使わない人が頭を使う人の発言をRTして、「見つけた自分」に満足してしまう。
そんな中に、「人の発言の面白さを発見できるアンテナ感度の高い人」「編集者的能力の高い人」の気の効いたRTも交じってきて、まさにカオス。
有益な議論ももちろん交わされているのでしょう。しかし利用者人口が膨大になるにつれ、傍観し自分も考えたつもりになってしまっているだけの人が増えているのではないでしょうか。

私がTwitterやベイベーのブログを稀にしか見ない理由は、ひとえに、私が自分の考えをまとめる前に、もっと洗練させたカシコイ人の発言を見てしまったら、自分はそこで思考停止をしてしまうだろうという恐れからに他なりません。
そういう意味では、「流星」に載っているみっちーのライナーノートですら恐ろしい。(自分でまとめたあとなら大丈夫)

私は、私自身が考えたい。
私自身が考える、そして自分の言葉で文章にする。
これを放棄してしまったら、私が生きる意味はない。

いまは他人の面白い発言を簡単に読めるようになった代わりに、大きなものを引き渡していることに無自覚な時代だなあと思います。

コエー。思考停止コエー。

私が私である限り、哲学を学んでいきたいと改めて思う所存。
みっちーの「物を書きたい」という発言を受け、私はそう考えたのです。

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